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エッセイ風小説の幕開け

私が言いだしっぺみたいなこの【くらげでいず】という集まりなのに、ぜんぜん私が投稿していないので書いた小説をあげておこうと思います。どうぞよければ・・・

 

エッセイ風小説の幕開け 

涼代ちえり

『彼』とは昔からの付き合いである。

こう書き出すと何かラブコメディの匂いがしてくるが、この場合の『彼』、は『小説を書くこと』である。

一番最初に『彼』と出会ったのは、おそらく小学校で、『このまえの休日』という作文だった記憶がかすかにある。外出先で滑って転んだ話、ほっぺたが落ちるほど美味しかった料理の話などを原稿用紙に六枚。学校に入りたてでよくかけたものだと思う。

あんなホラ話が。

先生には褒められた。ズル賢いことに私のホラ話は虚実入り混ぜた、巧妙なホラ話であった。屁理屈好きの子供だった私は、文章の上でも嘘を書き連ねなければ気が済まなかったらしい。なんたるクソガキ。尊敬の念をも抱く程だ。

それからも私は学校の授業で、まあたいそうな枚数、嘘を織り交ぜたものをつらつらと書いた。

『彼』は私が嘘を書いているのを知っていて、ただ見ていた。小さい頃の私はそういった嘘に全く罪悪感が無かったものだから、何も気にならなかった。楽しいから文を書いていた。

趣味でも書いていた。が、全て未完だった。読書も好きだったので片っ端から読み漁るし、学校でも『涼代といえば本好きだ』とを言われると気分が良かった。いつでも小説家気分だった。

中学に入り、文芸部に所属した。文芸部はその名のとおり文を書く部活であるから、ここから『彼』との本格的なおつき合いが始まったと言えるだろう。

さて、ものを書く機会がある。つまり『彼』と会う機会があるということはその分の締め切りがある。当時私のスケジュール帳には二ヶ月に一つほど、締め切りの〆マークが付いていた。もう一生あの字は見たくない。

〆切がなぜそんなに恐ろしいのかって?みなさんは夏休みの宿題を八月の三十一日に必死にやったことがあるだろうか。休みの宿題ならまだいい。宿題は自分ひとりのことだが、〆切があるということは他人に迷惑がかかるのだ。自分が怠けていたせいで。その上、ズルはできない。

一番嫌なのが、自分が納得できないものを人に見せる羽目になることだ。内容も頭を抱えるが、せめて誤字くらいは気がつかないのかと過去の自分をひっぱたきたくなる。

中学の卒業が近づくと、部活だけではなく、学校生活、習い事、すべてにおいて忙しくなった。やることが増えても解決したことは増えず、〆の文字だけが溜まっていく。でも断れない。『彼』は何も言わず、ただそこに、〆の文字の中に、じっと佇んでいた。

自分が満足していない文章を褒められても、ただただ複雑な気持ちになるだけだった。自分から言い出したことなのに他のことが気になってどれもうまくいかない。〆切に間に合わなかったら、と不安でしょうがなかった。

睡眠時間が減った。胃を壊した。部活をやめることも考えたが、なぜかできなかった。でもこれが終われば、高校生になれば、とりあえずリセットされる。きっと時間さえできれば、私は自由に『彼』に会える。自由に話を書くことができる。その事実にすがって、ボロボロだったが頑張って、頑張って、頑張った。〆切に間に合わせた納得できない文章をいくつか書き、一つは捨てた。文芸部での三つの〆切の内一つは間に合わなかった。卒業号で、最後だったのに。でも他は間に合わせた。どれも自分の中では褒められた物ではなかった。

『彼』と一緒にいる中でふと、心に突き刺さる言葉を言われることが増えた。それは何もかも中途半端な自分のことで、図星だと思った。言う相手より、言われる原因である『彼』より、言わせてしまった自分が嫌いになった。悔しく、歯がゆく、常に涙が出てしまいそうだった。

『とりあえず』をいっぱいに重ねて、私は気づいたら中学生でなくなっていた。

私は、高校生になった。

書くことを、これだけ続けていていきなり、ぱったりやめた。意外とあっさりしたものだった。泥沼にまみれた戦争のような『彼』との毎日はただただ遠い思い出になってしまい、物語を書く自分、『彼』と一緒にいた自分の現実味は無いに等しかった。

 朝起きて、学校に向かう。授業はつまらないが、携帯をいじるほど肝が据わってない。とりあえずノートは写すが見返さない。いつも同じ面子で昼ご飯を食べ、一緒に帰る。話題はどの日も同じようなもので、「またその話?」と言われたり、言ったりしている。恋愛沙汰や進路のことは中学の頃から大の苦手だったから曖昧に答える。同じ帰り道で、同じ曲を聞きながら、携帯の画面だけ見ていると駅に着く。

 そんな風に一日は過ぎ、結局やろうと思っていたことに費やす時間は無い。明日は、明日は小説を書こう、『彼』に会おう、と思って寝る。こんな毎日をくり返して、もう二学期。冬の寒さが近づいている。つまらないことも、おもしろいこともない。

 『彼』という存在が遠くに感じた。あれだけ嫌だったのに、あれだけ恐ろしかったのに、それが寂しく感じた。〆切からのストレスは時間が解決してくれた。その痛みを忘れただけかもしれない。でもこのまま何もしなかったら、きっと受験を理由にしてしまう。その後は大学を、仕事を言い訳にして二度と会えなくなってしまう。漠然とした不安が、底の見えない穴のように眼下に広がっていた。

 そんな中、学校で「文学賞募集」の張り紙を見た。そこに確かに『彼』が潜んでいた。

 急になにかが弾けた。

忘れたわけじゃない。辛かったばっかりじゃなかった。〆切に追われるだけじゃなかった。私にとって不十分に思えた一節一節に、泣いてくれた人がいた。自分の中にある汚いそのままのセリフが、心に響いたと言ってもらえた。数えきれないほど、たくさんの人に救われた。長い長い感想を友だちが送ってくれて、それをにやけながら読んだこともあった。私の書いた物に、本気で向き合ってくれた人がいた。終わったことを友達と飛び跳ねるように喜んで、苦しかったことを笑って語り合った。今までなかったくらいに笑って、頬の筋肉が痛くなった。

他の人に見せる時の心が躍る恐怖は、表現のしようがない。それは嬉しく、むなしく、楽しみなことだった。

胃が痛くとも、頭が痛くとも、やめなかった自分がいた。書き終えた瞬間、世界が変わったように見えるほど嬉しかった。そのあと眠るときには、何も考えることがなかった。逆に眠れない程興奮した夜もあった。自分が自分の生み出したものに肯定されたと思った。

『彼』との時間は、楽しかった。

本気で頑張って、それでもダメだったものは、完璧にダメなものだと、言いきってはいけないはずだ。なのに結果や、足りないと思う努力にだけ目を向けて、前に進めていなかった。

「未完はだめだよ。全て嘘の小説だとしてもね」

 私の脳内のどこかにいる、『彼』が微笑んだ、そんな気がした。

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